当時の学生運動のメインイシューは「成田空港粉砕」と「反原発」、国立大学授業料値上げ反対だった。
今の時代に一番わかりにくいのは「成田空港(三里塚空港)粉砕」だろう。
Wikipediaで「三里塚闘争」と検索していただくと、それはそれは長い記述がある。
大人達の多くは、つまりボクの同世代の人でも三里塚闘争は過激派が悪いと思っている。しかし、良識のある(?)大人の一人として「闘争」考え方に一理はあると考えている。
詳細は省くけれど、空港建設のために地元農家の立ち退きが必要な訳だけど、そこが簡単に言って疎かな扱いだったという事。もともと天皇の御料地だから、という甘えも政府にはあったのかもしれない。
とにかくその土地収容のプロセスで揉めに揉めたわけだ。
言いたいのはそこではない。
要は、概ね反対運動する側にもか十分な「反対)の根拠があったにせよ、実際に現地に行ってデモをすると、権力=機動隊=体勢側には勝てないのだなといいことを思い知ったという事だ。
機動隊の人たちは、頑丈なヘルメットに、防弾チョッキのような丈夫な「モビルスーツ」を着用し、太くて大きな棍棒を持ち、足元はガッチリと革のブーツで固めている。
こっちの「反対学生)と言えば、ボロボロのスニーカーに穴の空いたジーンズに、テイシャツに思い思いの「ゴツめ」のジャケット。防具といえば、ヘロヘロのヘルメットと殺マスクとサングラスw
そして体格が全く違う。
照ノ富士と翠富士、貴乃花と舞の海、タイソンと井上尚弥、くらい違う。
そして、大きい方は武術の使い手だろうが、小さい方は、単に小さいだけw。翠富士や井上尚弥と例えたのは大間違い。只の素人。
まるで話にならない。
その貧相で柔い学生たちが、二重三重に垣根を作った機動隊の列の真ん中の狭い人が通れるかどうかの場所を、「手荷物検査」と称して通される。
逃げ出したいけど後ろあらも学生が押してくるので引き返すこともできない。
機動隊員の、頑強な体格に小突き回され、肘についてプロテクターで半ば殴られ、手に持ったリュックサックの中をテーブルにぶちまけ、また小突かれ、気がついたら「解放」されていた。
勝てない と思った。
と言うか、なにと闘っているのかが判らなくなった。
この様な経験を二度して、もう三里塚には行かなかった。なんか違うと思ったし、勝てない闘いは嫌いだし、勝てる要素は見当たらないし、なにと闘っているのか全く判らなかった。
虚 虚 虚

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