一年の時は冷夏で、いつも仰ぎ見る空は鉛色した曇り空だったイメージしかない。
6月頃に、運転試験場に赴いて中型の免許を取得して、オートバを買った。HONDA CB250RS と言う単気筒のオートバイだ。

でも、楽しかったのかと問われると正直よくわからない。夏休みに帰省した時に、一昼夜かけて仙台から阪神まで走って、心臓がバクバクして疲れ果てたあと、走るたびに心臓がバクバクするようになってしまったことも、楽しいかどうかわからない理由かも知れない。
オートバイは真っ赤で派手だけど、ボクの気持ちは残念ながらそれほど上がらなかった。それでも、「ツーリング同好会」と言うサークルに入って、蔵王や山寺とか松島とか近隣のワインディングロードがある、車の少ないところを選んで走っていた。
また、「ツーリング同好会」のメンバーも、同期は一年下の学年で子供に思えたし、先輩たちも「単なるバイク好き」な人たちで、人としての興味を持てなかった。
唯一の居場所らしきものは、サークル協議会と言う、もうその時代においてもオワコンであった「ノンサヨクラジカル」を標榜する黒ヘル軍団だった。
これらの用語がなんのことか分かる人は、21世紀も25年近く経ってしまった今では、ごく少ない人に限られる。
すごく簡単に言うと「学生運動」のことだ。そういっても分からない人にはわからない(当たり前かw)。
ひどく簡単にいうと、日本の保守政治特に自民党政治に対して、今で言うところの「リベラルであろう」とする活動だ。
今で言うとSEALDsが近いかもしれない。あるいはグレタ・トゥーベリさんの活動とか。LGBTQの活動も似ているかもしれない。
しかし、当時は権力側からは(要するに大人からは)過激派と呼ばれていた。東北大学の「黒ヘル」の人たちは過激思想はなかったけど、たまたまボクが所属した教科書問題研究会というサークルにいたPさんという人は、警察から過激派認定されているセクトのメンバーだったから、ボクも似たような学生だと思われても仕方ない。
大学一年の時は、これらの活動に少し力を入れようとしていたけれども、そこに未来が見えなくなってきて「うつ」が酷くなっていった。
続く

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