冷夏の仙台、鬱をこじらす

猛暑,酷暑が当たり前になった令和では信じられないことかも知れませんが、夏の気温が30度に満たないという「冷夏」という年が20世紀の間にはちょくちょくありました。

ボクが大学に入った年も冷夏でした。6月までこたつを着けて,そのこたつの中で温く溜まっていたような気がします。

通学にバイクを使っていたこともあるけど、いつまで経っても長袖を手放せない。今調べてみたら7月から9月の平均気温が19.9度って信じられますか?!

ただでさえ季節の変わり目に調子を崩すボクにしてみれば、一番体調に良くない天候がずっと続きました。正直本当にきつかった。

夏休みはバイクで阪神まで帰省したのだけど、無理して一気に帰ったせいで、心臓のバクバクが止まらなくなってしまった。

仙台に戻る時は、名古屋からフェリーに乗ったけど、その時大雨で、ツーリングバッグがずぶ濡れになった。仙台に帰ってから、それを乾かしたりする意欲もないほど疲れていた。

それだけではない。帰省する前に、小型冷蔵庫の電源を切っていったのだが、中身の整理をしないままただ電源を切ったものだから、冷蔵庫の中身が全部腐っていて腐臭を放っていた。

そんなこんなの大学一年生の始まりだった。まさに終わりの始まりのような酷いスタートだった。

当時仙台の街は、冬季のスパイクタイヤ使用による「粉塵公害」が叫ばれていた。今のスタッドレスタイヤではなく、タイヤに文字通り鋲が打ってあり、それがアスファルトの路面を削るために、粉塵が舞うのだ。もちろん春になれば普通タイヤに替えるのだけれども、冷夏だったことの印象が強いためか、夏になっても粉塵が舞ってる、そんな記憶になってしまっている。

アスファルトの路面もスパイクタイヤで削られてタイヤの轍ができていて、バイクだとハンドルを取られてカーブなどでは結構怖い思いをする。

冷蔵庫は腐っていて扉を開けることはできない。ツーリングバックの中身もかびて腐っている。道路は轍で走りにくい。夏とは思えない寒さ。。。。。

夏休みが終わった後の前期の試験の頃には、ボクは完全に大学で何かを学ぶ意欲を失せていた。

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